ジャポニカ学習帳

昨晩みた夢、好きな楽曲のメモ

飼い猫

5年前に臨時職員をやめて無職になった。半年も働かなかったと思う。 たしか、9月いっぱいでやめてそこからおれはフラフラしていた。 年が明けて、5月になってそいつが、黒い子猫がきたと記憶している。 ぼんやり孤独に生きていた自分にとって、黒くて小さくてフワフワでしっぽがボンボンで目がブルーで、そいつは新しい風だった。 生きる目標のない俺の癒し・救いだった。弟であり、友達であり、子であった。 試験を受けるために、家で独学で勉強しいていた時もずっと一緒にいてくれた。 外の世界に惹かれるまえは、ずっとべったり一緒にいた。

すでに飼っている猫からは、あまり歓迎はされなかったが 子供を産まなかったその雌猫にとって、小さな黒猫はどんな存在だったのだろう。 新鮮な水道水の飲み方や、テレビへの乗っかり方、車の避け方なんかはそいつから、小さな黒猫は学んだんだと思う。 その雌猫は子供を産まなかったから、母親にはなれなかったけど、うざったがりながらも教育をしてくれたんだと勝手に思っている。 その雌猫は臆病だったが、前飼い猫たちのように、車にしかれて死んだりはしなかった。 危険であり、魅力的な外の世界での生き抜き方きっと小さな黒猫に教えてくれたんだと思う。マロンさんに感謝。

今までの猫たちにしてきたような去勢は、黒猫にはしなかった。 オスに生まれるべくして生まれてきたような猫が、去勢後にしぼ萎えたのを見て、そうはしてやりたくなかったから。 やがて黒猫にも、惹かれるものが増えて、外に出て、病気や外敵や知らない人から与えられる塩分の高い食べ物といった危険に少しずつ蝕まれていった。 去勢をしなかった黒猫は必然と外を求めた。もちろん何度も引き留めて、外に出しては省みて、されどリスクと青春は紙一重だと考えた。 きっとこれでよかったと考える。黒猫の生きた時間は5年だった。室内でうまく飼えれば10年は生きたのだろう。 けど、これできっとよかった。死んでしまったのは、令和3年2月21日、12時ごろ。

友人を一人失ってしまったが、これまでたくさん支えてもらった。 しっかりと生きれるかは、わからないけど、少しは頑張らないと、と感じている。

写真・動画をもっとたくさん取ればよかった。 いつでも会えると思っていたから、いざこうなると少ないよなあって。 昔はリードにつないで散歩をした。外の世界をひたすらズンズン、りんりんと歩くあいつの姿を今も覚えている。 いつまでたっても帰ってこなくて「もうさすがに死んだかなぁ」ってことが何度もあったけど、しっかりあいつは帰ってきた。 ケンカが弱いと思っていたけど、あいつは一歩も引かなかったんじゃあないかな。バカと言えばバカだけど、最初から逃げる様なやつじゃあなかった。 以外に、歴代のネコでは一番賢かったように思う。ドアを開けたりと色々な逃亡経路を見つけるのはさすがだった。 最初は馬鹿だと思っていたけど、うちの子なんだなぁって、感心した。

つい、かわいくていろんな呼び名を考えた。 ピボ、ピーボ、ボーちゃん、ボチ、ピボッチ、ポッチキ、ボッチキ、ボンボン、ボンちゃん、ドンちゃん、ボンチク、ピッピキ、パチクリ、ポチクリ、ピボガキ、ピー坊、ピーちゃん、ドンドン、なんかもいろいろ。