絶望
叔父さんがロクな人間でないということと、親父が「似ている部分がる」と述べる事実が俺を苦しめている。
性(さが)と言うものの根深さ、根深いにとどまらぬそれそのものは本当に考え方一つで押さえ込めるのか。
戒めとして語られる人間性の一部は確実に自分そのもので、聞くに耐えられない。
けして、おいそれと人に話せる事ではないことが自分を苦しめることであることは想像し、そこにとどめてほしい。
一つ一つの合致が、いちいちショックで「声が似ている」というものでさえ、胃を締め付けている。
こうしてPCを開いてゲーム及びネットを開いていると、それは『和らぐ』と言うよりただ現実を薄めていようだ。
「人の情に触れたい」とか「心配してほしい」とか、そういう域にあるんだろうか…?
ただひたすらに、うなだれてしまう。
このまま現実を薄めることでこの先を生き抜くことはできるのだろうか。
根本的に原因を追求するときには、徹底的に現実に触れなければならないのでは?
そうして、自分は最後に耐え抜くことが出来ているんだろうか。
悪くなった一部は取り除けばいい。
じゃあ全部が悪そのものだったら…。